image loading…

【飲み代に月3万円費やす妻】

 妻の飲み代を巡って夫婦間でもめている30代男性の投稿を、掲示板サイト「発言小町」で見つけました。

 この男性の家庭は、夫婦共稼ぎで2歳の娘との3人家族。一家の年収は1000万円以上ありますが、妻が食費や衣服代などの節約に努め、月30万円ほどの生活費で暮らしているといいます。

 夫の不満の種が、妻の飲み代。月に約3万円、宴会シーズンになると月4万円近くも使っているのだそうです。妻の言い分は「飲み代に回したいから、頑張って節約してる。食材も農家のとれたて野菜を激安で。お肉もブランド肉激安販売店で買っている。質を落とさず節約して、その分飲みに回してるだけ」。それでも夫は、納得がいかない様子です。

 「私が好きに使っている額は、月1万5000円ですが、(妻との)金額差は気にしていません。妻の外飲みも何ら問題無し」と、理解のある夫であることをアピールします。その一方で、「でも、節約した分飲まなければ、もっといいわけです」と主張し、妻が飲み代も減らすことが家計にとって正しい選択だと結論づけています。

【「仕事と家事の両立」男性も課題に】

 この夫婦のように、フルタイムでの共働きが増えています。夫婦で家事・育児をうまく分担して、それぞれが仕事と家庭を両立させることが、男性にとっても重要な課題として認識されるようになってきました。

 ただ、男女を問わず、仕事と家庭を往復するだけの生活になっては、息が詰まってしまうことでしょう。適度な「遊び」があるからブレーキや歯車が機能するように、仕事と家庭の両立のためには、そこから離れた「遊び」の部分をいかに確保するのかを考える必要があります。

【遊びを切り捨て、心の余裕失うことも】

 社会学者の加藤秀俊さんは、1984年の著書「余暇の社会学」の中で、オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」を引用しながら、「遊び」を学術的に解説しています。ちなみに、ホモ・ルーデンスとは「遊ぶものとしての人間」という意味。ホイジンガによれば、遊びの条件は、「自由」であること、「非日常」であること、そして、「限定性」を持っていることの三つ。

 その定義から、加藤さんはまず、「遊びには自由さがなければならない」として、「無理やり歌わされるカラオケには自由がないから遊びではない」と説いています。「日常生活からまったくはなれた非日常へ離脱する」遊びの例としてあげたのは、ビデオ・ゲーム(出版された年代を考えるとおそらく「スペースインベーダー」や「パックマン」などを指していると思われます)。「定められた時間、空間の限定内で行われる」遊びとして、「制限時間と土俵という空間」の二つの限定性を持つ相撲を代表例に挙げています(もちろん力士たちにとっては、相撲は遊びではなく、人生をかけた大仕事ですが)。

 ただ、スマートフォンのゲームがこれほど普及した現代では、「自由」「非日常」「限定性」のすべての遊びがスマートフォン内にあるという方が理解しやすいかもしれません。

 いずれにしても、遊びはそれ自体を目的としており、目に見えて生活に役に立つわけではありません。それだけに、仕事に家庭にと忙しい日々を送っていればいるほど、遊びを切り捨ててしまいがちで、その結果、心の余裕を失ってしまうこともあり得ます。

【お互いの違い尊重を】

 仕事や育児などで多忙な日常を送っている投稿主の妻は、「自由」で「非日常的」、そして「限定性」のある「飲み会」という遊びを、生活の糧にしていると考えられます。

 確かに、お酒を飲まなければお金は減りません。しかし、日常を支える遊びを失えば、生活のリズムが根本的に狂いかねません。それでも、月当たり3万円を節約する必要があるのでしょうか。体を壊したり、生活が破綻したりするほどでなければ、自分にはその価値が理解できなくても、飲み代の支出を認めた方が、夫婦関係は円満なものになるはずです。

 恋人同士は、相手との共通点を発見して喜びを得ます。ただ、しょせんは他人同士なので、次第に二人の違いが目立ってきます。恋愛であれば、相手との決定的な違いが分かった時点でお別れしてもいいかもしれません。

 しかし、結婚は長期的な関係の継続を期待するものですから、お互いの違いを容認することも必要なのです。

トピはこちら⇒共働き 妻の飲み代で揉めてます